第8回「日常生活のなかの工夫~小さな変化~」

非常識から多常識へ

 

 前回は、人は常識に苦しむこともあり、常識を疑ってみることの必要性も考えてみました。常識と非常識が両極に存在するようなとらえ方でした。これも危険ですね。世の中は割り切れないことばかりです。人生も不可解で、“運”なども見えない規則性があるような錯覚も起こします。いろいろな人がいて、いろいろな考え方や暮らしがあります。それを一言でまとめることなど不可能です。ひとりの人でもいろいろな側面があり、いろいろな状態でいろいろ考えます。

 「いろいろ」という便利な言葉を使いすぎましたね。でも、この“いろいろ”を忘れると苦しいのではないでしょうか。そこで大切なのは「多常識」です。常識をひとつの法則性だとすれば、その常識が人や文化、時代によっていろいろ存在するのであれば、懐も深く共存できるし、ひとつのことに苦しむよりも多くの選択肢を持って、そこから選ぶ自由も生まれるのではないでしょうか。「多様化」という便利な言葉が氾濫している割には、情報も価値観も偏るような動きが身の回りに増えているようです。 


慣れないことをやってみる

 

 何か心配事やうまくいかないことが続くと、私たちは普段通りにいくつかの行動パターンを守ろうとすることがよくあります。それは、普段できていることを崩さないことで、生活を守ろうとする取り組みの一つです。しかし、うまくいかないのであれば、それまでのパターンが崩れたことになります。それなのにこれまでのやり方に固執しているのは悪あがきです。

 1994年に福島大学で講演していただいた故スティーブ・ド・シェーザー氏は、うまくいかなかったら変化を起こすことだと指摘されました。ただし、条件があります。

 大きな変化は、無理な力もかかりますし、もしうまくいかなったらダメージも大きいです。ですから、「小さな変化」の方が大切だとしています。いつものパターンでうまくいかない状況が続いているのですから、いつもやっている方法や手順を変えてみるのは、ひとつの工夫になります。でも何をどうしたらいいのかわからない…、とおっしゃる方には「これまでやったことのない」ことで「できそうなこと」からやってみるのはいかがでしょう。

 いま倒れて寝込んでいる方に、だからいつも健康な生活を心がけなければいけない、といっても今は熱を下げたり休むほうが先でしょう。運動不足の小生が腰痛で動けないときに、だから普段から筋トレでもして体幹を鍛えておかなければならない、といわれても「はい、すぐにやります」とはいかないものです。その時その状況でできることを探してやってみることです。

いつやるの?今でしょう!

 

 ちょっと古い流行語ですが、やはり倒れてからでは手遅れかもしれません。それに新しいことは慣れていませんから、どのような結果になるか心配でなりません。初めてのことは大きな冒険で、わくわくするような期待があればいいのですが、うまくいっていないときにそのような冒険に挑むだけのエネルギーは残っていないかもしれません。

 エネルギーが残っていて、いろいろ工夫できるのは「うまくいっている」あたりまえの日常生活になります。あたりまえにできているときは、何も気づかず、気にしないで過ごしてしまいます。動けるうちに「いま」「その状況」でできることを工夫してみることですね。

 でもどうせやるならちょっとは楽しいほうが面白がってできるでしょう。これまでのメンタルヘルス対策というと、「病気の予防」ということで問題が起きることを前提に、その予防の戦いというイメージがありました。これからは、もっと楽しくなるためには、もう少し明るくなるためには、といったより充実した健康に向けた工夫が大切ではないでしょうか。

 

焦らない、急がない

   即席メンを食べるとき、お湯を注いで待つ時間が必要です。どんな小さなことでも、すぐ始めたことでも、すぐに結果が出ることは稀です。どこかに理想の解決や正解を思い描いていても、その通りになるとは限りません。お湯を注いで、そのあとどのような変化が起きているのかなかなか見えないものです。すぐに柔らかく食べごろにならないからといって、あきらめてしまってはもったいないです。筋トレもダイエットもその効果が表れるまでは時間がかかります。また、何事も、お手本通りマニュアルに従って挑戦したからといって同じ結果になるとも限りません。私たちの人生も、健康状態もひとそれぞれいろいろです。いろいろな状況に合わせたり逆らったりしながら、ダイナミックに生きていく。それが生き生きした生活になるのではないでしょうか。