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ダビスダーニャ  また会いましょう

イラストとタイトルに意味はない。

わざと意味のないよにした感はある。

 

オイラ特段、右でも、左でも、真ん中にいるつもりもない。

温故知新という母校大学のキャッチフレーズは好きだ。

割とアジア系留学生が多かった。

エリートではない。

戦前に池袋あたりに中国語の養成学校として国の政策で出来たらしい。

満州に送り込むための養成学科だったと。

大東亜共栄圏の影響もあるのかなと。

さて、昨今保守系界隈が騒がしい。まぁ左も、真ん中も同様だが、ほとんどの人はあまり意識していないだろう。

自民が好きでもない、立憲はどちらかというと嫌い。んでも地元の金子さんとか、元県議の高橋さんとか評判いいし。

人で判断するかな。共産党は頭おかしいと思うけど、共産党系の方に知り合いがいて、凄くいい人だし。あんんまり括りで判断しないようになってきた。ぶら下がりの金魚の糞、漁夫の利野郎も多いからね。

4年前県議選の仕事所たけど大変だった。おっかは頑張っていたけど。本にの息子がね・・・。仕事しない出来ない、二枚舌ぢころじゃない何枚舌?おまけに恫喝恐喝。この辺にしておこう。あーなんかPTAの団体の会長とかしててお母さん連中とのセクシー疑惑は有名でした。教師から嫌われてた。もうやめよう。

 

さて本題。

誉田の意じゃないよ(笑)

 

最近のSNS界隈の分断的な話。

俺はそんなに社会のこと、政治のこと、世界の動向詳しくないが、昔はSNSなどなく何となくみんな同じ情報を共有して、何となく同じ考えの人が多かった。良くも悪くも。

今はSNSで様々な情報、多様な意見があり情報氾濫している。なかなか最初は楽しいのだが、そのうち混乱し、整理できなくなってくる。最近は好き嫌いで判断することも多い。

好き嫌いの判断しかないとも言える。

言い方や、目線、立場(職業・貧富)で判断することもある。

評論家的な人々だ。ジャーナリストでもないのにどの目線から評論してるのか?

何をどうしたいのか全く分からない。

世界標準はこうだとか。ヨーロッパではこれが主流だ的な。

 

オイラ歴史のことそんなに詳しくない。大人になってから知ることの方が多い。

小さいころ何で天皇陛下は偉いのかな?なんで?存在するのか?

小さいなりにいい人間なんだと言われているような、タブーのような気がしていた。

ある時10年位前かなこんな風に思えた。

日本は縄文時代から日本という国が存在したかしないか以前からたくさんの集落、部落てきなコミュニティで共同生活をしていた。山、川、海に近いそれぞれのコミュニティ。

俺の創造。

それぞれのコミュニティ同士が集まり、交流するようになり、山のもの、川のもの、海のものを交換し合い、分配しながら生きてきたんじゃないかと。それで、そのコミュニティのお偉いさんたちは話し合う。

「みんなで集まって国をつくんねぇ?そのためには誰か神様の象徴みたいのになってもらってよー、日本いうこの国を一つにしてみんなで仲良く分配しながら暮らすっぺよ」

なって選ばれたのが今の天皇家なのだろうと。

なんとなくだから日本全国にたくさんの神、神社が存在するのかなと。分配された恵みに感謝する秋祭りなど。

四季折々に様々な儀式があり、分断のない平和な国を創ろう。

 

そんな気がしてならない。

なんて温和な国民性なんだ。

奪うのではなく、殺すでもない。

助け、助け合いともに生きていく。

そんな象徴が天皇なんだと。

その選ばれた役割を2000年以上続けていることに敬意と尊敬の念を抱く。

この日本という国を見守ってきたのではないかと。

願いをも、すがるような気持ちが湧いてくる。

何故か?

 

やはり昨今の情報氾濫、意見の多様化、保守層の分断だ。

情報や意見考え方が多様化しているので判断和難しいが。

どこどこに所属しているから、グループだからとか、画一的、一面的にとらえるのは最近よくないと考えた。

食べるため、生きていくために生活や暮らしを守らなくてはいけないからだ。

生活面は短期的、中期的見るべきだろう。大人なら孫の代までとか。

長期的には日本とか大きい括りで、孫の代から未来へとか。

身近な直近のことは地元の問題。

日本の未来は国の問題とかで選べばいいい。

 

 

ダビスダーニャ