集団・組織の常識
集団にとって重要なことは「何のために、何をしたいのか、何をしなければならないのか」という“常識”を明確にしておくことです。でもそれは、勝手に出来上がるものではありません。各メンバーがどのようにふるまうか、何をすべきかといった決まりが空気のように存在します。お互いの関係から規則や約束ができあがって常識を生み出しています。メンバーの大多数に見られる特徴が“常識”なのかもしれません。
それに合わせていれば安心です。勝手なことをすれば、周りからは責められます。同じような行動をしないといけない斉一性の圧力があります。それがメンバーをまとめる力にもなります。ところが外に対しては、自分たちと区別するために使われます。違う常識を持った人々を非常識と認識します。仲間に引き入れるためではなく、排除しようとする力になります。その反作用で、所属している集団に対する愛着や魅力が増す面もあります。まとまるために排除するという変な機能ですね。
本当は大事な他人の目
こうなるとまとまりとか仲間意識というのも、ちょっと怖いですね。「あいつは非常識だ」などという人に限って、先方から見れば常識がないものです。お互い非常識同士で仲が良くなったら面白いですね。大切なのは、そうした違いに気づけるかどうかです。多様な存在を認め合える共通性や積極的な妥協が必要なのではないでしょうか。
それが他人の視点に立てる、自分を大所高所からモニターできる機能です。多様な存在を認め合いながら共働できる能力です。「あの人は常識がない」と言う自分は、「常識がある」と思っている人がいます。常識を振りかざす人こそ柔軟性に欠けた不適応者であることも多く、ご自分もストレスをつくりやすいようです。あるいは常識に頼らざるを得ない弱さをもった人なのかもしれませんね。だからといって常識外れが良いというわけではありません。常識という枠に過剰に依存している問題です。
常識の目
「見ること」「見られること」を意識することはストレスになります。他者の存在が個人の覚醒水準を高めて、場の反応行動に促進的、または妨害的な影響をもつことを社会的促進(social facilitation)と言います。
見られることで張り切る人がいます。自分がスターになったような高揚感が作業を活性化します。しかし、小心者の小生は、見られると恥ずかしい!隠したい。そうすると周りに合わせて目立ったことはしたくない。この同調行動も周りをよく見ていないとずれてしまいます。一見やる気がなさそうな人も本当は常識的に一生懸命周りに合わせている積極的な人かもしれませんね。外から見ただけでやる気があるかないか判断するのは危険かもしれません。
世間では他人の気持ちを理解できることの重要性がよく言われます。では、「感受性」と「変容性」ではどちらが大切でしょう。Lennoxら(1984)は、ホテルなどサービス業に従事する人を調べた結果、変容性が高いと就労満足度や精神的健康度が高いと報告しています。顧客の前で「ふさわしい」行動や言動がとれることが重要だったということです。ちなみに、 客室乗務員・地上勤務者として採用された人(初職)でも変容性が高く、容貌よりも大切だったようです。常識はパターンや繰り返しの中で文化のようになってしまいますが、さまざまな状況に対応する変幻自在な柔軟性が必要なようです。
常識を疑う「自分」
自分のことをモニターする他人の目は、結局自分です。人間関係も結局は自分と向き合うことのようです。なぜ自分はこの人に腹を立てているのだろうか?自分の思い通りにならないのはなぜか?まず、その要求は正当なものか。常識なのか。相手の常識はどうなっているのでしょうか。
これは個人だけではなく集団や組織にも当てはめてみましょう。何故あいつはやる気にならないのか?なぜすぐやめてしまうのか?など、個人の問題にされることが多いですね。でも、魅力のない集団になっていないか、何をしたらいいのかわからない組織になっていないか、そんな視点で集団をとらえ直してみるとまた違った対応策が浮かび上がるかもしれません。自分たちの組織は周りからどのように見られているのか…。それはモラルやエチケットにもつながっています。
と、言っている自分の“常識”を疑ってみます。常識を破ることで生まれるイノベーション…、という常識に挑戦してみましょう
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